沙耶の唄

 先日に引き続き沙耶の唄。チャットでその道に詳しい剛久さんやsyunさんと話し、色々と考えてみました。
 結論としては、やっぱり手塚先生は凄いなあってことでしょうか。前回は『手塚氏の頃と比べて変わった時代を表している』と書きましたが、逆に『手塚氏が作った未来の延長上が現代』と思い始めました。手塚先生の人間不信さが、現代では逆にスタンダートになりつつあるのかもしれない、という感じで。
 以前碧郎さんが、『手塚治虫が今の日本を作った』という意味のことを語られたことがあったんですが、身をもって『なるほどなあ』と思いました。確かにその流れにのって、異物をも『愛する』ことがスタンダートになりつつある。その意味で沙耶の唄は、図らずしも2番煎じ、もしくはオマージュ的なものになってしまったのかもしれません。それは手塚氏が基を作った現代という時代に、それを象徴する作品を作った、という意味で。



で、先日レビューを回って思ったのですが、上記のものは全然求められている『沙耶の唄』レビューではないですねw ということで、今回は僕もそれを逝ってみます。前提として、僕はニトロは鬼哭街しかプレイしていません。ダメだ。
 ストレスがないゲームだなあ、というのが第一印象。サクサクいけるし、不要な選択肢(普通の恋愛ゲームでの、主に感情移入を目的とするもの)がなくてOK。しかしグロいCGといわれても、子供の頃にホラーを読み漁った僕には全く効かないヌルいものばかり。ストレスなさすぎて平凡に行くのかなあ、と半ばがっかりしながら進めていました。
 で、展開。おいおい火の鳥のパクりかよ、と少しがっかりし、さらにそのリスペクトと思われるバッド。ああ、これが現代のあのラブストーリなんだろうなあ、脱力しながらと肩の力をぬきました。予備知識ナシだったらその美しさにびっくりしてたでしょうけど、なにぶん前例がありますから。ロビタの自殺シーンに勝るショックなんてないです。
 そして後半へ。僕はああいうエセSFみたいのは大好きですw 銀の鍵とか思わせぶりなこと言って、解決する気ゼロなあたりが最高。このあたりが氏の特徴なのかな? 普通ならすべてを解決させに回るでしょうし、それでヒロインを増やして多数の選択肢&エンディングのゲームにするでしょうし。一点集中で斬ったこのストーリー、それは個人的には正解だと思います。なにせ火の鳥があるので。
 トゥルーエンディングは綺麗でしたね。あれを綺麗とか愛とか言いたくないのは前述しましたが、でも僕にも異なものに対する憧れがあるのは事実。なんか悔しさと、同時にニヒリズムを感じながら曲に浸ります。短いながら非常に綺麗な曲、かなり効きました。
 もう一つのエンディングは、う〜んどうかなあ。ああいう雰囲気は大好きなのですが、どうも理屈が先行してしまいました。このエンディングを先にやっていれば、あるいは別のことを感じたかもしれませんが……。



結論として、僕はこのゲームに『火の鳥』の影を見て、結局それに引き摺られてしまいました。あと今気になっているテーマにも非常に被さり合うものがあったので、単純にゲームとして楽しめなかったと思います。それが残念。グラフィックは綺麗過ぎて、ホラー漫画を読みなれているものならばまったくグロさは感じないでしょうし、声は自分のペースで読めないのでかなり邪魔でした(えろシーンは別ですがw)。
 辛くなりましたけど、でも僕が3時間マジでやったってことは紛れもない事実なのがくやしいです。おすすめはしない、けれどもやって損はない。そんなゲームだったなあ、と思います。



成人式の日に何書いてるんだ……