イメージと文章

 なげちの日記にあったことなんですが。なんというか、僕ってあんまりイメージを変換してないんですよね。受けたイメージは、快、不快を基準にした、とても薄ぼんやりとした「印象」として保管されてます。そして、それ(受け取ったイメージ)について考えるときは、「なんであの時、俺は不快に(もしくは快に)思ったんだろう」という風な回想になります。例えば、「沙耶の唄」のときは、思いっきり気持ち悪さを感じたわけですが、その原因は直後には良く分かってない。「なんで気持ち悪かったんだろう? →沙耶が可愛くなかった? それとも主人公がヘボかった?」
みたいな感じの思考があって、ようやく形になるんですね。これは私生活でもあんまり変わらない。だから飲み会とかでよくスベるし、もうちょっと、1歩引かないとなあ、とよく思うのですけど。
 イメージばっか追いかけてるから、プロット作るのとか苦手でして。もっと理性的なところで書ければいいのですが。快な文章を書くことを心がけてるだけじゃなあ。