光のように

 色々と言いたいことはあるにしても、やはりライトノベル紫色のクオリア」は相当に面白かったなあ、と思います。開始20ページで数日足踏みしてたんだけどね。そこから先がえらいことになってた。とりあえず、発想とテンションの2つに関しては、もう満腹レベルに満足しました。特にこの発想はねえ。毬井自体も結構アレなのにねえ。とはいえ毬井のキャラ自体はありきたりで、だからこそ序盤は非常に退屈だったわけですが、実際事件が始まってみればやはりあーすげえなあと思わされてしまう。で、あーなるほど、こいつとそのアリスってのが色々と巻き起こすんだろうなーとのんびり構えていると、まあガツンとやられてしまう寸法なわけですよ。その発想はなかったな。というか無きにしも非ずというか、思いついても普通は使おうとしないというか、上手いこと使い切れないと思うわけです。ハリウッドには一番向いてなさそうなそれだし、実際読んでても、例えば学の辿る人生とか毬井への思いの強さエピソードとか、そういうのがもっとあっても良かったかなとか感じる。でもそれを超えて、全並行世界の自分すべてで目的達成にひた走るというこの発想は、えらい勢いで素敵だなーと思います。こういうの燃える。ひぐらし的なね。まさにサイコロの1を出し続けるかのごとく、というかサイコロの1が出ない可能性を抹消しながら、ひたすらにひたすらに突っ走っていく。その想像だけで鼻血出るよ。それとオチの1つ前はどうにもいまいちだったけど、オチは実に爽やかでイカしてた。あそこにたどり着くために、もうすげえことやってるんだもんなあ。いやあ、凄い。俺こういうの大好きだよ。まさに主と朝寝をするために三千世界の鴉を殺しまくった感じで、実にYESです。いやこのたとえでいいのかどうかよくわかんないんだけどね。
 あと、テンションも好きだなあ。テンションというか、ええとその、なんだろう。なんていうか、まあデス種風に言えば「まず決める。そしてやり通す」ってことになってえらい勢いでアレなのですが、つまりは目的を定めてそこに向けて突っ走るっていう、そういうノリが好きです。そんでそれが長時間になればなるほど切なくていいんだよ。長時間なら、人間とか状況とか色々とかわっていくから、一番最初に「これをやれば幸せになれる」と確信して、決めたことが、ちょっとずつずれていく。それあきらめた方が幸せになれるんじゃないのってことになっていく。でも、決めたからって理由で、いくら辛くても犠牲が大きくなっても、ていうかそもそも前提が間違いだしたとしても、それに向かってひた走っていく。そういうのね。いいと思う。最近見たものなら、まあFateのセイバーとかなのはのプレシアとかそういうキャラに該当するのかなあ。セイバーはちょっと違うか。でも彼女もなあ。うっかり剣抜いちゃったりしたから、またうっかり戦うと決めちゃったりしたんだけど、別にそんな誓い守らなくてもよかったのにね。そこまで優秀ってわけでもないし、多分冷静に考えれば、途中でやめておけば多分みんな幸せになれたはずなんだけどね。でも決めちゃったから、もうそういうの考えないで突っ走る。アホかと。武士かと。でもそういうの大好きです。プレシアもねえ。フェイトちゃんいたんだけどね。そりゃいたんだけど、ていうかそっちに行く方が本人もフェイトちゃんも、あと母親思いだったというアリシアも多分幸せになれたんだろうけど、まあできないわなあ。薄々あれっとは思ってても、思うからこそ、より真っ直ぐになっていくというか。そう思うことこそが、一番はじめに思ったことへの裏切りになるわけだしね。意地でも、セイバーは引くわけにはいかなかったし、プレシアもフェイトを好きになるわけにはいかなかったし、学も毬井を守らずにはいられなかった。そういう、スクライド風に言えば意固地なまでの信念というヤツは、相当なときめきをくれるわけですよ。とまれ、学に関しては方法がいまいちだったというだけで、目的の方はぶれずに貫き通せたのですっきりしました。全部の自分で全部の可能性を全部ブチ抜いていった彼女のテンションは凄かったからなあ。これで悲しい結末だとしたらさすがにぐったり来てた。好きか嫌いかで言えばそういうの好きなんだけど、辛いか辛くないかでいえば圧倒的に辛いからねそういうのって。
 そんなこんなですが、少なくとも「紫色のクオリア」はかなり楽しめたと思います。もう少しなんかあったような気がしなくもないんだけど、でもまあこの発想だけでおなかいっぱいっていう気もするしね。ラノベなのにキャラ萌えもカップリングもなく、ただテンションと舞台に踊らされた感じの、らしくないといえばらしくない楽しみ方ができたと思います。良作!