メディア論メモ

 バトロワやネットにはスポットを当て、同じスポンサーの番組やバスケには当てない。法律により守られる『加害者』を『悪い』とは言えない。基本的にメディア、マスコミは、自らの利益に反することは報道しないのであり、またそれは資本主義社会の宿命でもある。
 ただ、一番問題なのは、ワイドショーやニュース報道を完全に事実と受け取る視聴者が、圧倒的に多いということではないかと思う。四角四面にコメンテイター、または人気タレントの『主観交じりの情報』を『自分にとっても事実』と認識し、また、そう自分が考えたものと誤認し、それを行動基盤に動く。そういう風にして生産される『大衆』がいわゆる『世論』を形成し(もっとも、ニュースや新聞で取り上げられる世論も、そう報道するスポンサーに都合がいいように操作されたものである場合が多い)、発言の土壌を築きあげる。例えばいい映画というのは、マスコミ、各コメンテイターや俳優がそう報道したから(スポンサーに都合のいいように)にすぎず、それはいわゆる時代の流れ(→「みんながそう言っている」)であり、結局大衆は『あの人がそう言っていたからそうに違いない』という前提の下で、その作品を評価する。
 カッターナイフ事件も、大方その流れで収束していくだろうと思う。誰かのもっともらしい発言が『事実』、もしくは『真実』となり、しかしそれが大衆全体に浸透していき、いつしかそれがまさに『事実』となり、そう認識された類似犯が増える。比較される酒鬼ばらのケースでも、同様の事象があったとされている(全国の類似犯は、基本的に同じようなことを警察の調べに供述した。また、それも同世代である)。 



 愚痴。すげえ駄目な愚痴。というか自由意志の否定は、自己否定という名の袋小路にハマっちゃうからどうしたもんか。ていうか消そうか迷うなあ。