けいおんウルルン滞在気

特に趣味というわけではないのだが、お世話になっている人が好きなので、最近はスキー旅行によく行っている。先週も行ったし、今週末も行く予定になっている。1シーズン3回。良く行くなあと我ながら思うが、腕はちっとも上がらない。初心者の中級者というところだろうか。もっぱら、スキー場で楽しむビールと、滑った後の温泉と宴会を楽しみにしている身である。
正月はじめも、某所に赴いていた。同行者の知り合いがペンションを経営しており、枯れ木も山の賑わいということで、たまに呼ばれるのだ。近畿からは遠く離れた雪国である。スキー場から見る景色は良いし、雪の状態も悪くなかった。必然、楽しい滑りになる。その夜、僕と同行者は上機嫌で、食堂にて一升瓶を酌み交わしていた。
話が妙な方向に向かうのは、そこにとある夫婦がやってきたときである。
男3人は酒好きで、時間もそこそこに意気投合した。こちらは日本酒を振る舞い、あちらは焼酎を開けた。アルコールを取り込み、男たちは上機嫌だ。奥さんは一人、隅で漫画を読んでいる。漫画好きの僕としては、少々内容が気になる。大判の漫画だった。カバーがかかっているので、どんなものかはわからない。好奇心にかられ、ひょい、と覗いてみる。1瞬後、心臓がどくんと鳴った。そう、奥さんが読んでいたのは、漫画「けいおん」だったのである。
僕は出かかった言葉をぐっとこらえた。ここで何かを発言すると泥沼になると思ったのだ。そのまま何食わぬ顔で、僕は酒宴に戻った。酒は進み、夜は更けていく。アルコールが進むと、脳が溶けていく。まあいいか、という気持ちになる。3人で日本酒を1升、焼酎4合瓶を空けた辺りで、僕は禁断の扉を開くことにした。
「その漫画、けいおんですよね。いや、友人が好きなんですよ」
奥さんは苦笑いだ。
「夫に布教されているんです」
布教という言葉で、僕は同じ穴のムジナを悟った。
「ああ、じゃあ旦那さんがお好きなんですね」
旦那さんは赤い顔で、上機嫌で語った。
「こういうのがいいですよね。戦いとかじゃなくて、のんびりとしたのがね」
「ちなみに、誰派ですかね。友人はムギと律っちゃんって言ってますけど」
「そうだね、僕は澪だね」
「あーなんかスタンダードですねえ」
「だいたい澪か梓だよね」
 そして数分後。食堂は、既にけいおん上映会場に変わっていたのだ。僕がそこで得た教訓は主にふたつである。けいおん厨はやたら見せたがるということと、上映中は終始アルカイックスマイルであるということだ。他人事を決め込んだ奥さんと、上映が始まった瞬間眠そうな顔になった同行者を尻目に、僕と彼はけいおん1期の特典である、ナントカという話を眺めていた。
「このOP見るの久しぶりですよ」「輝いてるよね」「……まあ、そうですね」などと微妙に話しが弾む。「あ、この律っちゃんの手紙って澪のなんですよね」「普段より普通だからね。わからないんだよね」「ホッチキスとかじゃないですしね」「中辛でもないしね」「筆ペンも出ないですね」
「(澪が行く海を見て)これどう見ても瀬戸内海じゃないよね」「日本海側ですか」「やっぱりあずキャットは可愛いね」「もうこれ劇場版の伏線ですよね」
「あー、俺野郎4人でマシュマロ豆乳鍋やりましたよ」「駄目だねえ」「しかもクリスマスに」「凄く駄目だねえ」「元ネタこれかあ」「このメンバーでそれやってる話みたいよね」「はあ」「あー、どや顔の澪はいいねえ」「……はあ」「でもこう見ると律もいいね」「はあ」
などと、2人でブツブツと喋っていた。車で6時間離れた場所に来て、やっていることはこれである。途中幾度か空しさの波が僕を襲ったが、そのたびにコップを煽って事なきを得た。異文化コミュニケーションは旅の醍醐味である。ちなみに同行者は、上映会が終わったあとに僕に耳打ちで「なあ、これどこで楽しんだらええねん」と呟いた。同感です、と僕は応えた。奥さんはいつの間にか消えていた。
オチは特にない。ただ、けいおん厨は日本全国に生息するし、多分この瞬間にも上映会を行っているのだろうな、などと、1ヶ月たった今でも僕はそのように感じているのだ。そしてあのアルカイックスマイルは共通項なのだな、とも。
今週末もスキーに赴く。怪我と火傷には気をつけよう、と思っている。